ものごとを抽象的に捉えるおもしろさについて書いていこうと思います。
抽象的に捉える
いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化して考えるさま。「本質を抽象的にとらえる」
今回はこの解釈が近いです。ものごとを抽象的に捉えると本質を見つけたみたいに感じて気持ち良かったりします。これもおもしろさの一つです。
といっても、たいていの人はすでにものごとを抽象的に捉えています。たとえば、パソコン、車、パン、ネコなどです。人はたいていある程度ものごとをグルーピングして表現します。もちろん、テーマによってはより具象化する場合もあります。パソコンではなく「MacBook Pro 16インチ 512GB …」のように表現することもあると思います。ここまで具象化するとこの表現が伝わる人が少なくなってきます。Windowsユーザーはわからないかもしれませんし、そもそもパソコンに詳しくない人には伝わらないかもしれません。
つまり、ものごとを具象化していくにはそれなりの知識が必要である。逆にものごとを抽象化できれば、必要な知識が少なくなり、より多くの人に伝えることができる。ということがわかります。面白いですね。
抽象的に捉えたときの2つの要素
たとえば、車を想像するとどのような物が浮かび上がるでしょうか。おそらく「四角い」「タイヤがついている」「金属っぽい」などではないでしょうか。これらを車のプロパティと呼ぶことがあります。車はどんな特徴を持っているか、という側面ですね。
一方で車の使い方に関しても想像できると思います。「アクセルを踏むと進む」「ブレーキを踏むと止まる」などです。これってすごいですよね。おそらくこれを知っていればどんな車でも運転ができるんです。もう少しみてみると、「アクセルを踏む」というアクションに対して「進む」という結果が得られます。なので、「アクセルを踏むと止まる」という特徴を持つ車はもはや車なのかも疑わしいです。
実は、抽象的に捉えるとは共通なものを抜き出しているのと同時に、最低限のルールを見極めているとも言えます。面白いですね。
もっと考えてみる
ものごとを抽象的に捉えたときの操作を意図的に変えるとどうなるでしょうか。携帯電話がいい例ですかね。
携帯電話は長らくプッシュホンの系譜を辿って「数字ボタンを押す」という操作を持っていました。これをかの有名人が再構築しました。「数字ボタンを押す」から「画面を触る」に意図的に変えました。まぁタッチパネル自体は前からあったので、厳密には「画面をタップする」「画面をフリックする」などへの変更かもしれません。何にせよ、携帯電話という抽象的なものの操作を変えたことで、世界が劇的に変わったいい例だと思います。
もう一つ、操作をなくした例をあげます。先ほども出てきましたが、車です。まだ完全に運用されてはいませんが、自動運転は車から「アクセルを踏む」などの操作をなくした例です。これも大きな変化をもたらします。
成功した例しか上げていませんが、おそらく数々の失敗例があるのだと思います。ただ、失敗例なのであまり表に出てこないのかなとも思います。ゲームのコントローラーとかはいろいろあるかもしれません。
では、失敗でもないけど大きな変化でもない物はどうでしょう。これはいろいろありますね。たとえばテレビのリモコンにボタンを追加するなどです。テレビのリモコンという抽象的な部分には影響がないので大きな変化とは言えないですが、反面抽象的な部分に影響を出していないので大きく失敗もしないといった例です。
まとめ
何かを大きく変えたいときは、なるべく抽象的に捉えて、共通項を見つけ出し変化させる。逆にあまり変化を求めていないときは、なるべく抽象的に捉えて共通項に変化がないことを見てみる。といったことがある程度有効ではないかと思います。単純に、抽象度をあげると対象が増えるので影響が大きいというのもありますが。
うまく伝えられているかわかりませんが、ものごとを抽象的に捉えるおもしろさが少しでも伝わっていれば嬉しいです。